40才からの出産・子育てblog

北国北海道函館育ちが、沖縄民謡に惹かれ移住。沖縄民謡酒場修行17年、全国・世界を周りながら40歳にして子供👶に恵まれ、妊娠、出産、育児を中心に毎日を綴りたい。40歳で子供もさずかり

三月

OHAYO!

HAITAI(*☻-☻*)

 

かなり久々な投稿(゚∀゚)

 

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私みたいな自営業皆に訪れる

申告の時期

 

里帰りから帰り

 

家の片付けもままならないまま

 

私、赤ちゃん共にお披露目したり

 

なかなか緩め且つハードな毎日を過ごしている

 

三月って卒業式や

入学や就職や

お引越しや

 

なんやかんやで、節目の月だったりする

寂しいような、

悲しいような、

嬉しいような、

楽しいような、、、

 

今年度の自分は赤ちゃんも出来た事で

考えるのが二倍

いや、結婚もほぼ同時なんで

 

3倍あるのに、、、

 

先の事に妄想、いや、

現実的に考えて

 

複雑な気持ちになる。

 

 

3/11東日本大震災

 

私は沖縄に居た。

 

昼間だった。

 

その日は歌三線の師匠のお宅に居て

おしゃべりしていたそんな時だった。

 

見ているテレビ中継が

この世の映像に見えず

 

ただただ見ているだけだった。

 

友達は大丈夫か、、

 

電話しても既に繋がらない

 

みんなそんな事を経験しただろう。

 

たまたま、震災1週間前に沖縄に来ていた宮城県女川の方々と師匠のお店で知り合い

あの方々は大丈夫だろうか、、

と案じていた

 

それが、その年から始まった

女川との交流。

 

小さな仮設商店街での沖縄ナイトだった。

直ぐには被災地に行っても、私などには無力だと考え、10月に色々な有志と食料などを寄付していただき、泡盛沖縄そばなどを振舞ったり、歌や琉球舞踊を披露して一緒に踊った。

 

それから毎年女川ナイトは、参加人数も増やして東京からはバスをチャーターして交流していた。

三年後商店街の人たちも是非

沖縄に恩返したいと、秋刀魚千尾を送ってくださり、女川の皆様数十人いらして

沖縄で、二回秋刀魚を無料で振舞った。

長い行列に、

沖縄でのたくさんの歌やエイサーや、踊りの有志から、ステージ周りの設営などボランティアでかなり大々的にした。

昨年は、妊娠中だったので、行くのを控えた。

 

あれから、7年。

 

また、月日は待たずに

三月が来た。

 

最初に一緒に行った舞踊のマダレナはアメリカで、私は沖縄で結婚して子供が出来た。

 

被災地でも運動をと、

北海道発のテニポンと言うスポーツが沖縄にも普及していて、それに参加して貰うために

女川のカップルさんも、結婚祝い?

で、沖縄での大会にご招待したり、

輪が広がった。

 

今年は生まれたばかりだから、

行けるかなーなどと妄想は膨らむばかりで

 

まだまだ今日をこの子と

過ごすのがいっぱいいっぱいかな。

 

あの日から産まれた子もいるだろう

みんな色々考える月だろうな。

 

でも、会いたいなぁ。

などと考える。

三月である。